
<第1回~崔暁・北京>
Chinese English < P>
24安打(リーグトップ)、打率.375(リーグ6位)、18得点(チームトップ)、そして11打点(チーム3位)。CBL前半戦でこの素晴らしい成績を残したのは、今年7月末で満20歳になる北京タイガース・崔暁である。
多くの北京タイガースファンにとって、彼は馴染みのない選手だろう。しかし、背番号27の19歳・崔暁は、たった半年の間で相手投手に恐れられる選手となった。
小雨が降る6月の朝、北京タイガースの練習場で崔暁にインタビューした。
 |
| 【崔暁(北京)】 |
-こんにちは。多くのファンがあなたを注目していますが、実際、まだあなたのことをよく知りません。簡単に自己紹介していただけますか?
崔暁:(笑)ファンの皆さんの声援にはいつも感謝しています。私は野球を始めてから実はまだ日が浅いのです。大体9年くらいでしょうか。北京市豊台野球学校の時に始めて、中学2年で北京ユースチーム(北京タイガース予備軍のこと)に入団しました。2005年の全国国民運動大会(通称「国体」)には、(レンタル選手として)福建省チームの一員として参加しました。2006年に北京チームへ戻ったあと、日本の読売巨人軍の育成選手として10ヶ月間お世話になりました。2007年から再び北京タイガースに戻ってプレイしています。
-期間は短いですが、色々な経験をお持ちですね。では、野球を始めたきっかけを教えてください。
崔暁:最初は、遊びのつもりで始めました。父の友達がやっていたので、面白そうだなと思っていたら、野球学校への進学を薦められました。
-最初は単純な気持ちだったのが、今は職業として活躍しています。野球が「ただの趣味」から「仕事としてやる」、という転機は何だったのでしょうか?
崔暁:仕事としてやっている、というのはどうかな(笑)。何といえばいいのかな。野球をしているうちに、このスポーツの奥深さが分かってきました。私はずっとセカンドを守っていますが、守備の時は走者との駆け引き、攻撃の時は投手との駆け引きがあります。これが私にはとても面白い。次第に深く入り込むようになりました。
-北京のユースチームに入りましたが、2005年中国国体には福建チームの選手として参加しましたよね? 国体で北京と当たった時、相手はみんな先輩だったと思うのですが、緊張しましたか?
崔暁:あれだけ高いレベルの大会に参加する機会はそれ以前にはありませんでした。実際、北京と対戦したときは相手が先輩ばかりでしたので緊張しました。でも、試合が進むにつれて緊張も解け、どうすれば彼らに勝てるかを考えていました。あの大会は、私の自信を深める意味でよい大会でした。
-国体終了後、日本へ行きましたね?日本での経験はいかがでしたか?何か印象深い出来事があったら教えてください。
崔暁:2006年、チームは私を日本の提携球団である読売巨人軍に派遣しました。最も忘れられないことは、巨人軍のコーチがとても親身に教えてくれたことです。正直に言えば、日本に行く前、「本当に日本のコーチは、野球経験の浅い我々をしっかり指導してくれるのだろうか?」と不安でしたが、すぐにそれは余計な心配だということがわかりました。巨人軍のコーチの方々は熱心に指導してくれ、私を大きくレベルアップさせてくれました。
-巨人軍に10ヶ月いましたが、日本の野球文化に触れて、印象的な出来事はありましたか?
崔暁:いちばん感じたことは、日本の選手が真剣に野球に打ち込んでいる、ということです。私は巨人軍の二軍で練習していましたが、若手選手であろうと、調整のため一時的に二軍へ来たベテラン選手であろうと、野球に対して必死に向き合っていて、それでいて、みんな野球をエンジョイしていました。
-その後、北京タイガースの一員としてチームに戻るわけですが、いかがでしたか?
崔暁:去年の自分の成績は決して満足できるものではありませんでした。出場機会をもらったにも拘らず、守備はエラーが多く、バッティングもなかなか日本で学んだ成果をチームに見せることができませんでした。精神的に未熟だったと思います。プレッシャーに負けてしまいました。 第1页 第2页 |