2007年12月27日
2007 CBL News 【Vol.21】
2007 最終号 特別インタビュー企画(1)
上海ゴールデンイーグルス・張玉峰 新監督
【上海のホーム球場で】
張玉峰(Zhang Yu Feng)。中国野球ファンなら誰でも知っている名前だ。ここ数年、中国代表チームのキャプテンを務め、上海ゴールデンイーグルスではショートを守る主力選手。2005年にはCBL打撃部門(タイトル)を総なめにしてシーズンMVPに輝いている。今年のリーグ戦後、彼はもうひとつ重要な役割を担うことになった。上海チームの監督である。現在行われている冬季キャンプについて、張玉峰は目標を答えてくれた。「上海は新旧交代の時期。ほとんどが20歳以下の新人でベテランは3、4人のみ。そのため、このキャンプの主な目的は若手の基礎体力作り。冬は体を作る絶好の機会であり、この期間を大事に過ごし、強靭な体を持ってもらいたいですね。」
常に代表チームの選手でもある彼は国際的な野球観を身に付けている。最新の野球技術やスタイルを若手選手に知ってもらうため、張玉峰は海外で見聞きした情報や自分が感じたことを積極的に若手に伝えている。
【アジアシリーズの開幕レセプションで】
張玉峰には、彼の野球人生の中で忘れられない試合があるという。
事実上の中国代表チームといえるCBL選抜(チャイナスターズ)として臨んだ今年11月のKONAMI CUPアジアシリーズ、統一ライオンズ(中華職業棒球リーグ)との試合。6回を終えて4-1とリードするも、終盤に投手陣が崩れ、5-9と逆転負けを喫した。「あと少しでアジア3強の一角に勝てるところだった。2005年のアジア選手権で韓国に勝ったが、相手チームは大学生だった。しかし、今回の対戦相手は正真正銘のプロ選手だったので、私自身非常に興奮していた。試合後の記者会見で、リードしていた時の心境を求められたが、この質問には泣きたい気持ちだったね。歴史的な勝利のチャンスを目前にチーム全員が盛り上がっていたのは確か。しかし最後の継投がうまくいかず、最後は逆転されてしまった。」
「野球を心から愛している。」と語る張玉峰は、今後の中国野球の発展について、こう教えてくれた。
「(野球は)他スポーツと比べて難しいスポーツだと思う。だからこそ、魅力的でもあるのです。現在、野球は世界的に普及が進んでいて中国でも経済の発展にしたがって子供たちが野球に接するチャンスが増える。そうすれば、スタジアムも観客がいっぱいになる。球場に観客がいればプレーする側にとっても良い刺激になる。あとは国とメディアのバックアップも欠かせないと思いますね。今年(4月)、温家宝首相が日本の大学を訪問して大学生たちと野球をされたが、政府が野球発展のために動いてくれれば普及はもっと早まると感じます。10年後には日本や韓国に勝てる可能性はある、と私は信じています。」
彼は続けた。「いよいよ8ヶ月後に北京五輪が開幕します。2008年のオリンピックは中国野球を世界に披露する大舞台になります。五輪では中国のほか世界トップレベルの7チームが参加し、その中にはメジャー(米国MLB)レベルの選手も含まれる。中国で野球を普及させるうえで絶好の機会でもあります。メディアの報道を通じて人々の注目が集まりますね。」
中国では、まだ“マイナースポーツ”の印象がぬぐえない野球。2002年のCBL発足後、常にリーグのトップ選手として野球の普及に貢献しつづけてきた張玉峰の北京五輪にかける思いは並々ならぬものがある。
最後に張玉峰はこう締めくくった。「私たちの目標は五輪で6位以内に入ること、そのためにもっと努力しなければなりません。また、上海チームについては、現在は世代交代の時期で低迷していますが、もう少しチーム、そして私に時間をください。必ず上海を強豪チームに育て地元野球ファンの皆さんに満足してもらいます。」
プレイングマネージャーとして上海チームを指揮し、五輪では代表チームキャプテンとして国の期待を背負う張玉峰。重圧は人一倍だが、このプレッシャーをはねのけて“結果”を残したとき、彼は中国野球史に残る伝説の人間になっているかもしれない。
いよいよ五輪イヤー2008年を迎える。張玉峰から目が離せない。
2007 最終号 特別インタビュー企画(2)
MLBシアトル・マリナーズ・王偉 捕手

【北京市内にて】
今年6月、MLBのシアトル・マリナーズへ移籍した元北京タイガース(中国代表チーム)の王偉は、シーズンを終え、休養とリハビリのため12月に北京へ戻った。中国人捕手として初のMLB所属選手となった王の野球人生は、北京市鉄十一小学校3年生の時から始まった。その後、北大付属中学に進み、芦城野球学校に入校。豊台野球学校に1年間在籍したこともあったが、最終的には再び芦城野球学校に戻った。
王偉は、野球を覚えた頃からずっと捕手を守ってきた。小さい頃は楽しさでやっていたそうだが、成長するにつれ、それがチーム全体をまとめる守備の要であることがわかってきた。捕手という特殊なポジションは王にとっていっそう魅力的なものとなっていった。王は、捕手として内外の野球関係者から高い評価を得ているが、打者としては“ホームランも打つが三振も多いバッター”というイメージがある。これについて王偉は言う。「そうですね。チームメイトやコーチ陣からもよく言われていますよ。自分でも良くないとは分かっているのですが(笑)。三振してしまうと局面は何も変わりませんからね。だから、今は自分の打撃の確実性を上げようと思っています。2ストライクと追い込まれた後にボールをよく見る努力をしています。」
王偉のホームランシーンは数多くあるが、ファンにとって最も鮮烈な印象を残しているのは、2004年CBL・天津ライオンズとのシーズン最終戦で放ったサヨナラホームラン。そして、2006年第一回WBCアジア予選での大会第1号ホームラン。この2本が双璧だろう。日本のエース格・上原浩治(NPB読売巨人軍)から打った衝撃的なホームラン。WBCアジア予選当時を王偉はこう振り返る。「中国代表チームの成績はよくなかったですが、試合に関しては結果だけを見るべきではないと私は思っています。中国と世界の強国との差は確かに存在すると思います。しかし、投打のレベルの成長は並行であると思います。国内の投手レベルが上がり、毎試合140~150キロの球を放るようであれば、打者もそのスピードに慣れ、自然と打撃レベルが上がります。中国の野球人口がサッカーの半分にでもなれれば、日韓台を倒すことは夢ではないかもしれません。13億の中国人民の中から160キロを投げる投手やイチロー選手よりも速く走る選手は必ず現れると思います。」
この半年間のアメリカでの生活と練習の経験を聞くと、「一言でいえば、『遊びを楽しむ』ことを覚えた。毎朝、5時半に起きて6時15分には一日の練習が始まります。昼食の時間は30分くらいですね。午後の3時半、4時くらいまで練習し、夜はホテルに戻り、英語の勉強をして寝る。ただ、私の言いたい「遊びを楽しむ」は普通に言う「遊ぶ」の意味とは違いますよ。野球であろうが他のスポーツであろうが、練習のために練習しているだけでは成長は絶対できない。やはり、まず自分が楽しみ、全精力をかけて打ち込むことで実力も上がってくる。渡米してからそれがわかった。」 王偉は楽しそうに答えてくれた。次回渡米の時期は来年の3月2日だそうだ。
今年で28歳になる王偉だが、『引退』という心配をするファンもいることを彼に伝えると、本人は笑ってこう答えた。「28歳はベテランとは思っていないし、まだ28歳なので、“更に遊びを楽しむぞ!” という気持ちです。」。しかし、こう説明しながらも、王は引退後のことを真剣に考えている。渡米中は毎日日記をつけているのだそうだ。「今後、もしコーチになる機会があれば、海外の先進的な野球観を中国の後輩へ伝えたい。もし自分がコーチになれる機会がなくても、その情報を別の人を通して後に続く後輩などに伝えてもらえれば、と考えています」。アメリカでの経験は、自身の人生にとって大きな経歴のひとつだが、それが決して“終点”ではないことを彼は明言した。
北京五輪の目標について、彼は教えてくれた。「オリンピックに関しては、どの色のメダルを取るというような話はできないし、したくないです。ただ言えることは、出場する機会があれば、後悔するようなプレーは絶対したくない。また、チケットを買って
我々のプレーを見に来てくれたお客さんを満足させたいと思っています。」
「あなたにとって野球とは?」 という質問に「自分の一番好きなことを仕事にしている。」と王偉は迷いなく答えてくれた。「野球であれ他の仕事であれ、真剣に打ち込みさえすればその仕事が好きになり自分の価値を高めることができる。」 と彼は言う。故障に見舞われる機会が多かった王偉は、満身創痍になりながらも、常に中国球界の中心で野球を続けてきた。 彼の心の中は依然として希望に満ち溢れていた。